能登半島一周ツーリング

1976(昭和51)年9月6日〜11日
スズキハスラー250 同行3人 バンバン125・ダックス90・フロンテ360(軽4)
前年に3年間勤めていた会社(アニメ撮影の小さなプロダクション)を辞めた私は新たな就職先を
見つけるまでの繋ぎのつもりでいくつかのアルバイトを転々とした
英会話教材のセールスをすぐに辞めて清涼飲料水のルートセールスで一夏を過ごした
そこで知り合った友人とバイクの免許を取りに行ってバイク人生が始まったわけだが
製缶工場での夜勤作業をあまりの単調さに2週間で辞めた後(給料は良かったが)
横浜市内の家電量販店に音響メーカー(O社)のヘルパーとして勤務する事になった
オーディオ売り場でさりげなく自社製品を売り込む仕事は中々に難しく
ブランド力の違いに泣かされたりもしたが幸い店側の受けは良くやがて当時一番人気の有った
P社への移籍が決まりそれからは販売成績も上々であった

店の隣のスーパーに勤めていたマッハVに乗っていた暴走族の坊やと友達になり
その紹介で中古のハスラー250を5万円くらいで購入
毎日そのバイクで鶴見の自宅からから金沢区のバイト先まで通勤していた
バイト先には何人かのバイク好きのバイト学生がいて良く一緒に日帰りツーリングに行った
やがて定職に就くべくバイト先を辞めるのを期にその友人達と初めての長距離ツーリングを計画した
コースはほとんど人任せで宿泊はすべてユースホステル(初体験)を利用
同行が2種原付なのでコースはすべて一般道
荷物はすべて軽自動車に積み込んだので身軽なツーリングだった
なにせ昔の事で記憶もあいまいだが思い出しつつ記録に残しておこう


当時書き残したルート図

9月6日 1日目 自宅−富山YH
メンバーはバンバン125のK君にDAX90のT君そしてフロンテ360のO君との4人旅
K君は16歳からバイクに乗っているのでバイク暦は私よりはるかにベテランで走りに関してはリーダー格
T君も小さなダックスで最後までハンデを感じさせずに走った腕を持つ
クルマで参加のO君はバイクの免許は持っていないがいつも一緒につるんで走っていた
一番排気量が大きいバイクに乗っていた自分は一番未熟だったのでちょうど良い組み合わせだったようだ

前夜10時ころ出発、国道16号で相模原を抜け津久井湖に向かう道で私が財布を落としてしまった
相模湖を過ぎてから気が付いて引き返し皆で探したが結局見つからず
いきなり不安な旅立ちとなった(金は親から郵便局に入金してもらい何とかなった)
明け方甲府市内の甲州街道の歩道橋下で小1時間仮眠
松本から野麦街道経由で日本アルプスを越えるが峠を昇るにつれて空気が薄くなるのを実感する
左に乗鞍を見ながら安房峠に差し掛かるとエンジンが吹けなくなりこまめにキャブを調節する
平湯から崖にへばりつくようなガードレールも無い道を対向車に気を付けて恐々と走り
神通川沿いにどんどんと下り初めて見る日本海の夕日を眺めながらやっと富山YHに到着
1時間くらいの仮眠をしただけで18時間くらい走ったことになる
初めてのYHはミーティングがあったりしたが大した盛り上がりはなかったようで
あまり記憶には残っていない

安房峠の手前で

バイク3台と軽自動車という奇妙な組み合わせ
このころはK君の影響で太田裕美がマイブームだった


中央が私
当時はダウンタウンブギウギバンドの人気で
ツナギが流行っていたのが懐かしい


9月7日 2日目 富山YH−曽々木YH

能登半島を内能登から反時計周りに一周する
氷見・七尾・穴水と周りなぜかとても見たかった軍艦島で写真を撮り先端の録剛崎灯台に
着いたころは日没が近付き灯台から見る夕日はとても印象的だった、
今日の宿泊地の曽々木YHに着いた時は真っ暗だった
恋路海岸で
いいのか?砂浜をバイクで走って
しかもノーヘルで二人乗り!
(道路じゃ無いからいいか)
でも楽しそう
バンバンの太いタイヤは砂浜では絶大な威力
見附島(軍艦島)
髪フサフサだな・・・
島も俺も
能登半島の先端
録剛崎灯台
先端に来ると半島を征服した気分になるなあ
この日知り合ったライダー(右端)とここまで同行
日本海に沈む夕日が美しかった
このころは階段と見れば登りたがった(笑)
しかしマナーが悪いぞ!(反省)

YHはアルコール禁止だが缶ビールを持ち込んで部屋でこっそり飲んだ
なんか修学旅行みたいで楽しかった(修学旅行で酒か?)



9月8日 3日目 曽々木YH−金沢YH

窓岩の真ん前にあるYHで同宿の女の子達と記念写真を撮ってから出発し外能登を周る
輪島・千枚田を見て能登金剛の海岸では水着も持っていかなかったのにちょっと泳ぎ
この旅の目的のひとつ「なぎさドライブウエー」では逆ハン大会をして遊んだっけ
金沢に近付くと途中から小雨が降ってきた
走行中にバンバンのサイドスタンドが脱落するアクシデントがあった

YHの目の前に窓岩がある
ちょっと穴が空いているだけの岩だけど
同宿の女子大生グループと記念写真を撮ったが
その中の一人がキャンディーズのミキちゃん似で可愛かった
半島の狭い地理条件から生まれた千枚田
輪島の朝市
関の鼻
行ける所はどこでも突き進む
水着は持って行かなかったが思わず泳いでしまった
高所恐怖症の人なら気絶しそうな断崖絶壁
外能登は男性的な荒々しい海岸線が多かった
待望のなぎさドライブウェー
堅くしまった砂浜で何度も何度も逆ハンを決めて遊んだ
しかし2ストの排気煙はすごいね


9月9日 4日目 金沢YH−木崎湖YH

兼六園を見学してから雨の中を金沢から海岸線を新潟方面に向かう
大歩危小歩危を通り糸魚川を遡り信濃大町へと向かう国道148号では土砂降りの雨に見舞われた
合羽を着ていても役に立たないような雨にずぶぬれになりながら木崎湖YHに到着
ブーツの中は水がたっぷりと貯まっていた
一日走り通しで移動に終始した一日だったが険しい山を縫うように糸魚川に沿って走る道は
日本が山国だという事を実感させてくれた
この日は雨のために写真は無し



9月10日 5日目 木崎湖YH−諏訪湖YH

昨日の雨は上がり青空が顔を出したが濡れたものを乾かすために
午前中はYHのヘルパーの女の子とそのころ流行り出したスケボーで遊んだ
その子はなかなか可愛くて帰ってから手紙のやり取りをちょっとしたこともあったなあ
まだ彼女もいなかったころで淡い恋心を抱いたけど友人の手前無関心を繕っていたっけ
(当時は誰も彼女がいなかった・・・寂しい〜)
三重県桑名の子で何ヶ月後かに一度横浜に遊びに来てくれたりして
このYHはこの旅でも特に思い出に残っている
そして立山黒部アルペンルートで黒四ダムを見学
147号で松本から塩尻峠を越えて国道20号を南下
最後の宿泊地諏訪湖YHに到着
諏訪湖YHは古い大きな旅館のような立派な建物だった



YHのすぐ前の坂道
ここで皆でスケボーしたのが一番楽しかったかも
大観峰展望台から見たロープウエー
黒4ダム
その大きさには圧倒されました
確か中学時代に見た「黒部の太陽」を
思い出しましたね
     アルペンルート乗車券
ケーブルカー・ロープウエーの料金は
往復2300円(現在は3360円)
当時の我々には大出費


9月11日 6日目 諏訪湖YH−自宅

諏訪湖から国道20号を相模湖まで一気
相模湖でボートに乗って最後の休憩をしたあと横浜市内で解散
初めてのロングツーリングだったが気の合う仲間と一緒だったしツーリングの楽しさを思いっきり
感じた旅だった
すれ違うバイクともずいぶん沢山ピースサインを交わしたものだ
あの頃はどこでも当たり前のようにピースサインを出していたしそれが無性に嬉しかった

相模湖でボート漕ぎ