3日目 12月31日 広島滞在  

曇り時々雨 夜は晴れて月が出ていた

どうも予報がよろしくない。
広島・山口はおろか、北九州地方も雪の確率がかなり高い。
道中の安全も心配だし、到着してからの宿泊場所確保も悩ましい。
しかも連日の強行軍で体もかなり疲れ気味だ。
四国での雪中行での恐怖が記憶に残っていて、どうも雪道には過剰に臆病になっている。
考えた結果ホテルに連泊し、今日一日は静養する事にした。
フロントに電話すると、昨夜と同じ料金で良いらしい。

もともと予備日を設けていたので、一日の休養は十分に取り戻せる計算だ。
まずはしっかりと体を休めて、それからのんびりと市内見物でもしよう。
1階のレストランで朝食バイキングをしっかりと食べて、部屋に戻ると二度寝した。

目覚めれば昼近くで、幸いに雨も降ってはいない。
鷹揚に起き出すと原爆資料館見学に出発。
この旅では広島・長崎と二つの被爆地を訪れるので、悲惨な歴史を学び取ってこようと考えていた。

爆心地に近い平和記念公園内の資料館を訪れると、残念な事に年末は休館だというではないか。
事前の調査では年中無休という事だったのに、何たる事だ。

広島は高校の修学旅行で訪れてはいるが、資料館はおろか原爆ドームさえ見ていないという
不埒な高校生だったので、今回こそは是非見たかったのだが・・・

それでも静かにその姿を残す原爆ドームを見て、いかにすさまじい破壊がこの地で起きたかという
事実を、断片ではあるが強く感じ取る事ができた。





今まで写真で見る原爆ドームは、何かモニュメントのようで強く訴えるものを感じなかったが、実際に
目の当たりに見るドームは、瓦礫が積み重なり鉄骨は見残に折れ曲がり、ここでどれほどの悲劇が
起きたのか一目瞭然だ。
なぜこれを残したのか、そして世界遺産に指定されたのか、の意義がはっきりと分かった。


その周囲にはあちこちに慰霊碑が立ち並ぶ。
60年前に起きた悲劇、風化させてはならない。
具体的に何が出来るのかを考えると忸怩たる物があるが、とにかく自分の心にしっかりと焼き付けた。

原爆ドームのすぐ向かいにある広島市民球場や、頻繁に走る市電を眺めながら、次に広島城を訪れた。

レトロな路面電車 珍しい5両編成の路面電車
グリーンムーバーと呼ばれている



広島城は原爆で焼失したので、当然現在の城は戦後再建されたものだが、よくあるコンクリート造りの再建城ではなく
木造なのでなかなか風情はある。
堀の向こうの石垣にそびえる天守閣は往時を偲ばせる。



通称鯉城と呼ばれる広島城


城内には神社もあり、露天商達が明日の初詣に備え準備に忙しい。
その傍らを抜けて天守閣まで行ってみたが、残念ながらこちらも休館であり天守閣の中に入る事はできなかった。

また城内には明治時代に設けられた大本営(軍の司令本部)がありその遺構も残っていた。
広島という街が古くから軍と密接な関係があり、その事が繁栄を呼び、そして悲劇も呼んでしまった。
そんな因果を知る事にもなる。

そうこうするうちにポツポツと雨が降り始め、やがて雨脚が強まってきた。
ちょっとの外出のつもりだったので、合羽も持ってきていない。
仕方が無いので途中のコンビニで食料を買い込み、急いでホテルに戻った。

広島にはまだまだ食の名物もあるが、この時期では開いてる店も限られるし、予算の都合もある。
今夜はコンビニ弁当で年越しとしよう。

夜はホテル泊を選んだ隠れた理由、TVの格闘技番組をザッピングしながら、新年を迎えるとともに眠りに就いた。

窓の下には川が流れ、すっかりと雨が上がった空には月が輝き、ひっそりと静かな2005年の幕開けであった。



宿泊した”マルコーイン広島”と愛車アヴェニス



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